Friday 25 July 2014

「っぽい」生活

真面目な人ほど、こうしなくっちゃ、ああしなくっちゃ、と考えて、一体自分はどうしたいのかとか、どう思っているのか、ということが後回しになったり、忘れてしまったりするのではないでしょうか。あまり「~しなくちゃ」ということにこだわると、自分の気持ちがわからなくなってしまうこともあるでしょう。

もちろん、時には有無を言わせず何かをしなければならないことがありますが、そうやって乗り切ったからと言って、自分の気持ちが消えてなくなるわけではないのです。
では、どうやって自分の気持ちを大事にすればいいのでしょうか。
今回はピーター・レイノルズの絵本、「っぽい」をご紹介しつつ、考えてみたいと思います。

 
 
レイモンは絵を描くのが大好きな男の子です。
ある日、お兄ちゃんがレイモンの絵を見て笑いました。レイモンは傷つき、「ちゃんとした」絵を描こうと必死になりますが、どうしてもうまくいきません。とうとう、レイモンは絵を描くのを諦めようとしました。
ところがレイモンは、妹がレイモンがだめだと思って捨てた絵を集めていることを知ります。妹が、レイモンの絵は、描かれたものそのものではなくて、「それっぽい」から好きなのだ、というのを聞いて、レイモンははっとします。
レイモンはまた絵を描くことにしますが、それからは「っぽい」表現をすることを楽しむようになるのです。レイモンは、何かを見て描くだけでなく、「気持ちっぽい」ものを描いたり、「詩っぽい」ものを書くことだってできるのだと気付きます。あまりに素敵で、とても「っぽい」絵や「っぽい」詩では表現しきれない体験をした時は、レイモンはその体験を無理に表現するのはやめて、その体験に身を任せ、味わうことにしました。
レイモンは、それからも「っぽい」ものを大事に過ごしました。


お兄ちゃんがレイモンの絵を笑った時、お兄ちゃんはレイモンの絵の何が悪いのか、特に何も言いません。でも、レイモンは傷つきますし、お兄ちゃんの嘲笑が忘れられません。レイモンがこんなにお兄ちゃんの態度に反応したのは、おそらく、レイモンの絵に対する劣等感が刺激されたからでしょう。お兄ちゃんがレイモンの絵を笑った時、レイモンは腹を立てて、悲しかったと同時に、恥ずかしいと思ったのではないでしょうか。レイモンは何とかして「ちゃんとした」絵を描こうと奮闘します。しかしながら、完璧を目指すあまり、レイモンは絵を書くことを楽しむ気持ちを忘れてしまったようです。


何かを判断したり評価したりする際に、ある種の基準が必要になるということはあるでしょう。しかし、忘れてはならないのは、そういった基準というのは、場合によって物差しが変わるもので、決して絶対的で普遍的なものではない、ということです。特に、個人的な事柄に関しては、社会的な基準がうまく当てはまらない、ということは往々にしてあるものです。人はそれぞれ違うので、ある人にとって「正しい」答えが、別の人にとって同じように「正しい」とは限りません。
とはいえ、いわゆる社会で言われる基準というのはとても影響力があって、思わず、それがいつでも、どこでも、誰にとっても「正しい」ものだと思いがちです。その結果、何が自分にとって自然で、何が自分らしいのか、わからなくなってしまうことが多いのではないでしょうか。

レイモンは「ちゃんとした」絵を描こうとするあまり、純粋で素直な、絵を描く楽しみを忘れ、ついには「ちゃんとした」絵が描けないことに絶望して、絵を描くのを止めようとします。あれほど好きだった絵が、「ちゃんとした」絵にこだわればこだわるほど、どんどんレイモンから遠ざかってしまっているのです。

しかし、レイモンの妹がレイモンの絵は「っぽい」と言った時、レイモンの世界は大きく変わります。この「っぽい」という見方は、レイモンの人生を変えてしまうわけですが、それにしても、一体、何が変わったのでしょうか。

レイモンは自分にとっての「ちゃんとした」絵とは、他の人にとっての「ちゃんとした」絵とは違うのだ、と気付いたのではないでしょうか。そして、そう気付いたことで、レイモンの絵に対する姿勢は変わります。レイモンは見たものだけでなく、感じたことも絵に表現できることに気付きます。また、絵以外にも、いろいろな表現の方法があることを発見するのです。さらに、素直に自分が体験していることを大事にすることができるようになって、レイモンは、それを何らかの方法で表現してもいいし、無理して表現しなくてもいい、ということにも気づきます。
つまり、レイモンは外の世界で起こっていることと、自分の内面で感じていることの両方を、大切にできるようになったといえるでしょう。こういったレイモンの新しい姿勢が、「っぽい」という言葉に集約されているのです。
 
「っぽい」姿勢は、何かを強いてはっきりさせることがないので、そこには遊びの余地が生まれます。そして、「っぽい」姿勢を持つことで、自分の気持ちや意識の流れに対しても、そのまま耳を傾けることができるようになるのです。つまり、これは自分に正直になることにも通じます。私たちの行動や気持ちは、白や黒といった明確なものではなくて、むしろ、どこか曖昧で白と黒の混ざったものだからです。また、「っぽい」姿勢は、私たちが陥りがちな「~すべき」「~しなければならない」の罠にとらわれた時、そこから抜け出すのを助けてくれるのです。
 
「っぽい」姿勢を得て、レイモンは自分の見たものや感じたものをより自由に表現できるようになります。そして、レイモンは自分が何かを「する」ばかりでなく、何も「せず」に、そこにただあるものや、そこにただいることを、素直に楽しむことができるようになったのです。
 
レイモンのお話はとても心に響くものだと思います。たとえ、それが他の人の「正しい」答えとは違っても、自分にとって真実で意味のあることをどう生きるか。レイモンが悩んで、自分なりの答えを見つけたことは、私たちが、どうやって自分に正直で、バランスのとれた、「っぽい」生活を見出すかということに対して、一つの方向性を与えてくれるのではないでしょうか。