Saturday 10 August 2013

まっくろウサギ

誰にでも、自分の中で好きでない部分というのがあります。ときには、自分の中に、思いもしないような、とても不愉快で暗い部分を見つけて愕然とすることもあるでしょう。そういったとき、私たちは、誰にも知られないうちに、できるだけ早くその部分をなかったことにしてしまいたいと思ったりします。 でも、そういった部分は、隠したり、なかったことにするしか仕方のないことなのでしょうか。

この疑問を念頭に置きつつ、最近見つけた、Pilippa Leathers 著、The Black Rabbit (まっくろウサギ)という絵本について、私が考えたことを少し書いてみたいと思います。

ある気持ちの良い朝、ウサギくんは突然、自分がひとりではないことに気づきました。ウサギくんの後ろには、大きなまっくろウサギがじっと立っていたのです。
ウサギくんはまっくろウサギに向こうへ行ってくれるように言いますが、まっくろウサギはウサギくんのあとをずっとついてきます。ウサギくんはまっくろウサギに、どうしてついてくるのか聞きますが、まっくろウサギは答えません。
ウサギくんは、思い切り走ったり、隠れたり、泳いだりしてまっくろウサギから逃げようとしますが、まっくろウサギはどこまで行っても、いつも後ろにいるのです。

絵本では、このまっくろウサギはウサギくんの影法師として描かれています。しかしながら、この影法師を、心理学的な「影」、つまり、ウサギくんにとって、自分でもよくわからない部分、あるいは自分では嫌いな部分、として考えることもできるでしょう。
物語の始めに描かれる、まっくろウサギを見つけた時のウサギくんのショックや戸惑いは、私たちが自分の「影」に出会った時の、わけのわからない不気味な存在を意識した時の気持ちをよく表していると思われます。どうやって付き合えばいいのかもわからないのに、「影」はどこまでも私たちの後ろをついてくるのです。そして、どうやっても「影」をふりきることはできません。

ついに、ウサギくんは深くて暗い森の中へ逃げ込みます。そこではまっくろウサギの姿は見えず、ようやくウサギくんはほっとします。でも、息をついた途端、ウサギくんはまた何かがいることに気づきます。まっくろウサギが再び追いかけてきたのでしょうか?いいえ、違います。オオカミです!ウサギくんは必死になって森の外へ逃げます。ところが、あろうことか、ウサギくんは転んでしまいます。万事休す!

おかしなことに、ウサギくんがもう駄目だ!と思った時、オオカミは尻尾を巻いて逃げていきます。そして、ウサギくんは、後ろを振り向いて、太陽の輝く中、そこにまっくろウサギが胸を張って立っているのを見つけるのです。なんと、まっくろウサギがオオカミを驚かせて、ウサギくんの命を救ってくれたのでした。ウサギくんとまっくろウサギはにっこりと笑いあって、友達になりました。

絶体絶命の瞬間、ウサギくんは万策尽きて、もう終わりだと思います。しかし、そのとき、まっくろウサギが再び登場し、ウサギくんがこれまで考えたこともないような方法で、オオカミを撃退するのです。ウサギくんが本当に危ない時、まっくろウサギは頼りになる仲間として現れ、ウサギくんとまっくろウサギの関係は劇的に変わります。

この最後のシーンについて、まっくろウサギをウサギくんの「影」として改めて考えてみると、「影」には、ウサギくんのまだ知らない才能や、これからの可能性が含まれていることがわかります。ウサギくんは真っ向勝負でオオカミに勝つことはできないでしょうけれど、機転を利かせてオオカミを出し抜くことはできるのです。そして、ある意味では、絶体絶命の危機に陥ったために、ウサギくんがこれまでになく新しい、創造的な才能に目覚めたのだとも言えるかもしれません。

自分の嫌いな部分やよくわからない部分に対して、不愉快になったり、自分が自分でなくなるように感じたりして怖くなったり、否定したくなるのは、自然な反応とも言えるでしょう。人によっては、どうしても仕方がなくなるまで、そのような部分を、なかったことにしたり、隠したり、見ないようにしたりして過ごすかもしれません。そのような部分を受け入れることができるまで、長い時間がかかるかもしれません。

でも、もし、自分の「影」に向き合って、その部分と対話し、関係を築くことができれば、これまで自分の中にあるとは思いもしなかったような可能性がひらかれていくのだと思います。